2018/1/31

アメリカの大学受験

寒い日が続いていますね。この時期は受験生の皆さんをはじめ、ご家族の方々も大変な思いをされていると思います。
 
私も、中学受験から、一通りの受験をしてきましたが、なんせ勉強が大嫌いでしたので惨憺たるものだったのを覚えています。
 
そんな私がなぜアメリカの大学に入れたのか。それはアメリカにはが「英語はできなくても構わないから、やる気のある子が来てほしい。」という大学があったからです。アメリカでは、子供が奨学金(日本よりもはるかにたくさんあります)や、アルバイトで学費を払いますが、日本は親が払うのが当然、という考えなので、全額、きちんと払ってくれる日本人学生は大歓迎されたのです。
 
高校の時に偶然、父親が買ってきた本「アメリカ留学体験記」という本を読みました。それは著者の栄陽子先生が、アメリカの大学、大学院の留学の内容が書かれていたものだったのですが、中に書かれていた何もかもがとても魅力的だったのを覚えています。その先生がアメリカのいろいろな私立大学と提携し、年に1回、その大学から日本へ面接をしに大学関係者がやってきます。留学したいけどTOEFL(アメリカの大学を受験をするのに必要な英語の試験)の点数が足りない、という留学志望の人達が面接試験を、決められた会場で受けるのです。
 
私のTOEFLの点数は絶望的でした。今はシステムが違うのですが、当時は500点以上が留学の条件と言われていましたが、380にもいってませんでした。たしか370とか、その辺をうろうろしていました。なので栄先生のところに行き、相談してみると「大丈夫よ。あなただったら、この辺の大学がいいんじゃない?」と紹介された5,6校の中から、カンザス州の「Saint Mary College」を選び、面接を受けました。そこが一番学費が安かったし、私が勉強してみたかった「社会学」の授業が充実していたように思えたからです。
 
会場では確か20校ぐらいの面接が行われていたのだと思います。今ではすっかりおなじみになったいわゆる「一芸入試」みたいなところもあり、日本舞踊とか、お茶とか、華道などをやって日本の文化を紹介してアピールしている人もいました。しかし私はそういうものも何一つ持っていなかったので、面接では「I want to go your college!(あなたの学校に行きたい!)」を連呼していました。隣に卒業生の人が通訳でいましたが、本当はその人にはあまり頼らないように、と言われていましたが、その人抜きでは面接が成り立ちませんでした。終わった後の私は「あー、ダメだこりゃ。」という思いでしたが、合格した人には電話がくる、という日の午後9時ごろ、ようやく電話がかかってきて「合格です」と言われました。なぜ私が合格したのかは今でも謎ですが・・・。でもとにかく嬉しかったです。
 
元々留学に反対だった父親が「行きたいなら働いてお金貯めて勝手に行け!」と言われて2年間働いての留学だったので本当に嬉しかったです。それからは仕事がまだあったので、1月入学にしてもらい、働きながらビザを取ったり、健康診断を受けたり、説明会に行ったりしましたが、不安は全く無く、ワクワクしながら10月で仕事を終え、11月に渡米、2か月語学学校に通ってから、1989年1月に入学をしたのですが、まぁ、これからが地獄のような日々だったのですが・・・。またそれは後日書こうと思います。
 
受験生の皆さん、明けない夜はありません。今年は特に寒いですが、風邪をひかないように、がんばってください!どんな経験も無駄になることは一つもありません!ご家族の方々も見守るのは本当に大変だと思いますが、共にがんばってください。心よりご祈念しております。